才能フューチャーデザイン

「才能」とは、その人の生まれながらの素質や経験によって手に入れているもの。「デザイン」とは、才能を素材として創造して創りあげるもの。「フューチャー」とは、未来を描くこと。

上司に才能を見つけてもらって(前編)!

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学校を卒業してから働き始めると

あるIT企業で仕事を始めました。

 

入社したのはいいものの僕には問題がありました。

「プログラミングができない」という(笑)。

 

コンピュータのプログラミング言語勉強したり

するのですが、まったく体に合いません(笑)。

まったくもって手先が動かないのです。

 

頭には入るのですが、体には入らない感じです。

おかげで新入社員の指導の際に言語研修だけは、

教えている自分より教えられている新人の方が、

素早くできるという笑えない話

がありました。

 

しかし、

当時のIT企業はプログラミングができてやっと初級者

コース終了みたいなイメージがありました。

プログラミングができると次の設計のステージに

上がるという階層みたいなものがありました。

 

おかげで、僕は2、3年プログラム開発ステージから

上がれない状況でした。仕事では、ほとんど会社の

お荷物社員になりました

 

 

才能が無さすぎると思い、転職を考える毎日です。

僕が天職は何かなぁ~とリクルートの雑誌を見る毎日です。

きっと、僕にピタリと合う職業があるはずだと、、、

 

 

仕事をしていれば

時計もみるもいつも定時までの時間がとても長く

感じるのです。毎日毎日、出来が悪いものを

製造していき仕事のパフォーマンスは最悪でした。

 

そして、その結果

僕はプロジェクト内で最下位の位置付けの

出来の悪さです。

 

しかし、

この窮地を救ってくれたのが、

その時のS上司でした。

 

続きは次回、、、

 

 

野球の才能があるんじゃないかと。しかし、、、

野球に才能があるかも

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才能があるかもと最初に感じたのは、小学生の時でした。

小学3年生の時に野球に才能があると感じたのです。

 

 

僕が野球を初めて興味を持ったのは小学校の3年生の時です。

今も記憶の中に映像が鮮明に残っています。

ある晴れた日の日曜日の昼の後楽園球場での試合です。

後楽園球場は、東京ドームになる前の古い球場でした。

 

試合は、日本ハム対どこかわからないチームでした(笑)。

日本ハムファイターズが、北海道ではなく

東京の後楽園を本拠地にしていた頃の話です。

 

投手が下手投げの高橋という投手でした。

バットがボールを打つ「カーン」という音が

今も頭に残っています。

 

この試合を見て、僕は野球をやる決心をします。

何が理由かわかりません。理屈とかではなく、

なんとなくこれはやりたいと思ったのです。

 

そして、翌日から両親に「野球をヤリタイ、

野球をヤリタイ」の一点張りで父から

グローブを買ってもらいました。

 

残念なことに

この時に買ってもらったグローブはすぐに失くします。

 

 

ですが、記憶というのはいい加減なもので、

僕の中では、このグローブが今でも最高のグローブに

感じています。感触とか使い心地とかも含めて最高に感じるのです。

 

 

 

たぶん、今同じグローブを触ったら

きっと”ガックリ”きますよね。

なんせ30年以上前のグローブですから(笑)

 

たぶん、初恋が美化された状態と同じなんだと思います。

 

 

話が外れましたが、、、

 

 

この後、

グローブを買ってもらって毎日、コンクリートの壁に

ボールをぶつけて楽しみます。ただ、ボールをぶつけて

自分でそのボールを捕るのが、とても楽しいのです。

 

 

小学校3年の時は、周囲に野球をやる友達も

いなかったので一人でやっていました。

 

コンクリートの壁に白いチョークで四角のストライクゾーンを

書きます。そのストライクゾーンの四隅にコントロール良く

投げ分けます。おかげで僕は、コントロールだけは良くなりました。

 

 

そして、毎日野球の試合を頭の中でシュミレーションします。

自分が投げて勝つシーンとかサヨナラで負けるシーンとか

毎日、毎日投げて頭の中でシュミレーションし続けました。

毎日が楽しくって仕方ありません。

 

 

一人で雨の日も風の日も晴れた日も壁にボールをぶつけて

楽しみます。誰とも野球をせず、ただ一人だけの頭の中の試合を

楽しむのです。今、思えば気持ちが悪いです。でも、当時は

それが楽しかったのです。

 

 

そして、ある時友達から少年野球に誘われます。

そして、野球チームに入るのです。

小学4年生の時ですね。

 

 

ここで初めて自分自身が周りに比べて野球が

上手かったことに気がつきます。デビュー戦が

4番でピッチャーでした。この時に自信を持ちます。

試合は8対6で勝ち越します。

もちらん、僕が勝利投手です。

 

そして、その時に僕の心に宿ったのが、

「生まれつき僕には野球の才能があると、、、」

 

 

しかし、

数年経つと僕には野球の才能が無いことがわかります。

小学4年生の時がピークであったことが(笑)

 

なぜなら、

小学3年の時はクラスで一番上手かったのに、

年齢が上がるにつれてだんだん他の人に

抜かれていきました。

 

中学に上がるころには補欠になります。

高校ではレギュラーと補欠をいったりきたりでした。

 

野球の才能がまったくないなという決定的な自覚は、

高校の時に県大会の試合がテレビ中継されたときです。

自分のプレーを見て愕然としました。

 

下手、下手すぎる(笑)

ようこんなやつレギュラーになったなぁ~」

と感じました。

 

 

運動神経の悪い高校生がやっている

才能の欠片もないと、、、

 

 

この時、野球は辞めようと決意しました(笑)。

 

 

薄々気づいていました才能が無いなぁ〜と、

でも、使ってくれた監督にはとても感謝しています。

ありがとうございます(笑)。

 

 

 

この過去の体験で才能に対して学ぶことがありました。

 

才能は、どこまでを目標にするかで変わると

 

プロ野球選手を目標にした場合は、僕はあきらかに

才能がありませんでした。

 

しかし、地元の少年野球で競争する場合は、

人より少し練習をするだけで、

野球が上手になることができました。

 

才能にもレベルがあるんだなぁ〜と

しみじみと感じたものです。

 

誰しも最初から一番ではありません。

才能を見つけてトレーニングして成長していく

のが才能を手に入れることではないでしょうか。

 

本日もお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

本日もお読みいただき、ありがとうございます。

 

このブログを始める理由

 

僕は才能については特別な思いがあります。

小学生の頃からずっと才能があったら、

社会で成功するって信じていました。

 

何も疑いもせず、そう思い続けていたのです。

才能があればすべてのうまくいく

才能があればお金も入ると、、、

 

ですが、

ある時に才能について深く調べたとき驚愕の真実がわかりました。

僕の中では、”ガックリ”きたような、そんな気がしてたような、

そうだったのかと思ったり、様々思いが駆け巡りました。

 

才能については、本田健さんをはじめ海外の作家の方々が

いろいろと書いています。しかし、これだけやればOKと

いう書籍がありませんでした。

 

また、

才能関連のセミナーも受けましたが、

これだけやればOKみたいなセミナーもありませんでした。

結局、だんだん積み重ねていくうちに才能を見つけて

構築している形になっていく感じだったのです。

 

 

なので、

僕が時間をかけて手に入れた才能のノウハウは、

才能を欲しがっている人ならきっと役に立つと

思いブログにまとめてました。

 

まずは、3部構成でまとめみます。

 

第一部:才能の視点で人生の転機を考えたマイストーリー

第二部:あなたの才能の見つける8つのこと(予定)

第三部:才能を見つけてデザインする方法(予定)

プロフィール

学校を卒業後

 自動車販売会社へ就職するがすぐに退社。先輩からの紹介でコンピュータ会社に転職するが、プログラムが組めないためお荷物社員になる。しかし、当時の優秀な上司がプログラムが組めないけどリーダだけはできそうだと言い出して、ダメ社員がいきなりリーダーへ格上げする。周囲の声とは裏腹にプロジェクトは成功。

 

その後、リーダー→プロジェクトリーダー→マネージャーへ

 転機は50名のプロジェクトリーダになった時に訪れる。毎月の労働時間が平均300時間。休みなし朝から終電まで毎日働く。メンバーが2名鬱病にて離脱、他3名も退職届けを出して離脱する。部下からは、「熊沢さんは僕らを殺す気ですよね」とのコメントに回答できなかった。。。

 

この経験から、、、

 自分で全部決められる株式投資を仕事にしようと思いたつ。8年後に株式投資の仕事で会社を退職するが、一度目は失敗して鬱病になる。二度目でやっとうまくいき久々ゆっくりした投資生活送る。

 

しかし、、、

 株式投資は何も生み出していない。人に貢献していないと感じ始める。そして、自分が人に提供できる「才能」は何だろうと考えだす。自分の才能を探すために「才能」のキーワードで出版されている本を読みまくる。才能関連のセミナーも受講しまくる。投資額は500万以上。

 

そして、

 そこで得た知識をもとに創り上げた才能見つけるノウハウを活用して才能デザインコンサルティングサービスを始める。

 

その結果、

 コンサルティングサービスを受けた3~6ヶ月後に成果報告が届くようになる。

転職がうまくいった、協会を立ち上げることができました、協力者が現れました、、、

 

現在、、、

 人の隠された才能を目覚めさせる。才能が目覚めていない方、才能を発揮していると思っているが確信のない方、才能を発揮するための必要な環境を知りたい方のために「才能を見つけデザインするコンサルティングサービス」を開始する。